突き落とされるような感覚に、仮眠をとっていたソファの上で跳ね起きた。
 己一人しかいない部屋の中、胸を押さえて荒い息を吐く。ひゅうひゅうと喉が鳴り、短く浅く漏れる気息は治まる気配を見せない。喉の奥から吐き気にも似た衝動が込み上げ、ぎりぎりと締め付けられるような痛みが肺を、肋骨を軋ませていた。蟀谷の辺りがずきずきと鈍痛を訴えている。

 夢を見た。簡潔に言うなら恐らく悪夢というやつだ。見る度に魘され、最悪な目覚めを齎してくれる、それ。もう何度目だろうか、そんな悪夢を見るようになって気付けば暫くが経っていた。――否、あれを悪夢と呼ぶべきなのか。あれは、以前であれば確かに悪夢ではなかった。その筈だったし、夢や幻でもなく現実のものだった。
 けれども現に背中には冷や汗が伝い、心臓は全力疾走でもしたかのように早鐘を打っている。ぐらぐらと揺れる頭の中、脳裏に焼き付いた夢の残滓が精神をどんどん不安定にさせていき、落ち着きかけた吐息がまた乱れる。あれが幸せな夢だったのはもう、過去の話なのだ。

 軽い目眩を振り払うように立ち上がって、ふらふらとデスクへ歩み寄りパソコンの傍に置いてあったペットボトルを掴んで、中身を喉の奥へと流し込んだ。何の変哲もない水だったが、置きっぱなしだった所為で酷くぬるい。口にした分だけでそれ以上飲む気は無くなり、半分以上残るそれを頭から被ってやった。
 ばしゃりと、零れた水がコンクリートを叩く。こぽこぽという空気と水が入れ替わる音を聞きながら、未だ僅かに乱れる呼吸を抑えようと肩を上下させた。肺の辺りが軋むように痛い。いたい。
 前髪からぽたぽたと滴が零れるのを見ながら、頬に垂れてきた水を手の甲で乱暴に拭った。






 夢の中で、自分はひどく安らかな気持ちで眠っていた。
 隣には同じように眠る男がいて、どちらともなく目覚めると整った顔が直ぐ傍にあった。目を合わせれば男の紫眼が慈しむように細められる。普段は睨むように鋭いそれが今のような時間、己を見るときだけひどく優しくて。その綺麗な紫を見ていると、恋しさが募ってどうしようもなく苦しくなる。苦しくて、切なくて、無意識に顔を顰めると男は少し呆れたように苦笑した。恐らく、そんな己の気持ちなどお見通しなのだろう。
 次いで伸ばされた腕で懐に引き込まれ抱き締められる。応えるように自分も腕を伸ばして抱き締め返し、ぎゅっと、寸分の隙間もないくらいに互いの身体を密着させて。こうしたかったと呟けば、男が零すのは微かな笑み。
 触れたところから伝わる鼓動。あたたかい体温。落とされる口づけ。低い声が呼ぶのは自分の名前。この時間がずっと続けばいいなどと思ってしまうほど、ひどく幸福な気持ちが胸を満たして。
 ああ、しあわせだ――






 ――そこで現実に引き戻される。目覚めて、思い知る。
 奴はもう、此処には居ないのだ。