tear the quartet.
side-
C /
J /
K /
Y
side-Crow
黒い鳥が暗い街を疾走する。はやく、はやく、もっとはやく!!
猛スピードで走るDホイールの乗り手であるクロウは、普段以上の風圧に晒されながらぎりぎりと奥歯を噛み締めていた。かつてないほどの焦燥を駆り立てる原因は、車体横のアームに寄り掛かるようにして身を預ける友の姿だ。全身傷だらけの彼の腹部からは、赤黒い血が溢れ出している。
「遊星! しっかりしろ、すぐマーサんとこに連れて行ってやるからな…!」
片足だけをペダルに掛け、もう一方の膝を乗せて何とか操縦出来る体勢をとり、ぐったりとする遊星を支えるように腕を回しスロットルを限界まで絞る。スピードを上げている所為で切り裂くように頬を薙いで行く冷たい風が、まるで生命を刈り取って行く死神のように思えて恐ろしかった。段々と、遊星の身体から体温が失われて行く気が、する。
「(ッ…馬鹿なこと考えてんじゃねえよ!)」
弱気になる自分を叱責し、ブレーキを掛けながら車体を二人分の身体ごと傾けて直角の路地を曲がる。そこで落ちたスピードを取り戻すように再びアクセルをかけ、静まり返った廃屋街をDホイールは疾駆した。灰色の景色が風のように通り過ぎ、けれども似たようなそれから抜け出すことは出来ない。まだ、未だハウスへは着かないのか…!
「ッ…ぅ、ぐ、」
びゅうびゅうとヘルメット越しに唸る風の音に混じって微かに呻く声が聞こえ、クロウははっとして遊星を見遣った。飛んでいた意識が僅かに戻り傷の痛みも蘇ったのか、遊星は傷口に刺さったままの瓦礫を抜こうと宛てがっていた手を動かす。
「っ、ばか、未だ抜くんじゃねえ! 失血で死んじまうぞ!」
思った以上に深いのか、傷口を押さえる彼のグローブは既に血液でぐしょぐしょだった。元凶でありながら傷口を塞いでいる瓦礫を引き抜いてしまえばどれほどの出血になってしまうかわからない。思わず耳元で叱るように叫べば、クロウの言い分を聞いてくれたのか遊星は瓦礫を取り去るのを諦めて手を下ろした。それは重力に引かれてだらりと落ち、シールドの下で虚ろに開かれた深い青の瞳に何時もの力は無い。
「っ…、遊星…ッ、」
辛うじて聞こえる遊星の呼吸は浅く短く繰り返され、今にも止まってしまうかも知れないそれはすぐに、吹きつける風によって掻き消されてしまう。支える身体が少しずつ重くなって行くような錯覚に襲われ、クロウは心中で悲鳴を上げる。やめろ、死ぬな馬鹿野郎――!
「もう少しだから、耐えろよ…!!」
ぎゅっと遊星の身体に回した腕に力を篭め、二人を乗せた黒鳥は夜闇を走り抜けていった。
side-Jack(Carly)
空気の重さというのは物理的に感じられるものだっただろうか。
深夜の暗い空をシティへと引き返すヘリの機内は、酷く重い空気に包まれていた。パイロットの隣の席に座る治安維持局の女性(恐らくこの機内で一番権力のある人間だ)が至急シティへ戻ることを決定してから、誰も、一言も口を開こうとはしない。同乗者は皆一様に無言で、隣では先程必死の形相でその決定に反対していたジャック・アトラスが沈痛な面持ちで窓の外を――もう後方へ消えてしまったサテライトを探すように見つめていた。苛立ちと焦燥と、今までに無い程の不安を抱えたようなその表情は、これまでに見てきた彼のどんな姿よりも痛ましく映る。見ていられなくて何か言葉を掛けようとしても、触れられることを拒むような空気が機内の重苦しい雰囲気と相俟って名前を呼ぶことも出来ず、ただ黙ってその姿を窺うことしか出来なかった。たとえ声に出来たとしても、気の利いた言葉の一つも思い付かない――否、今の彼にはどんな励ましも慰めも気休めにすらならない、きっと。
ダークシグナーの男とニューキング不動遊星の、命を懸けた決闘。凄絶なそれが繰り広げられた上空で、ジャックはどちらも自身の友だと言った。旧友との再会がこんな事態になってしまった彼の心中は他の誰にも察し難いものだろう。そう思いながら、モニター越しに見た光景が脳裏に蘇る。決着がつかんとするあの時、転倒する真紅のDホイールから投げ出された身体。悲鳴にも近い声で叫ばれた名前。キングを自称し常に威風堂々として、時々拗ねることはあっても揺らぐことのなかったジャックが、動揺していた。知らない、見たことのない、ジャック・アトラスの姿。
だた解るのは、不動遊星という存在は、彼にとって他人が思う以上の――。
「…アトラス様」
徐に、前の席から控えめに声が掛かった。呼ばれたジャックは答えず、外を見ていた視線だけを女性に返す。
「…お気持ちはお察し致します。ですが、どうかご理解ください」
「…わかっている」
吐き出された声は重く、その声色に覇気は無かった。彼女の判断に理解は示しているものの、本心は今直ぐにでも不動遊星の元へ駆けつけたいのだろう。どうにも出来ないことへの苛立ちを必死に抑えて冷静さを保とうとしているのが、ジャックからひしひしと伝わってくる。シティへ帰還するという決定を下した彼女自身も同じくそれを感じているようで、再び外へと視線を外したジャックを振り返る表情は仕事と私情が入り交じったそれだった。
沈黙が降り、ややあって会話は再び続けられる。
「…あの少年が不動遊星を連れて行ったということは、治療の当てがあると考えて宜しいのですよね?」
「…無いわけではない。だが所詮はサテライトの町医者だ。シティのような設備どころか、サテライトの中でもまだ治療になるというレベルだぞ」
「ですが、たとえこのヘリでシティへ搬送したとしても」
「わかっている!」
半ば叫ぶように放たれた声に怯み、女性はびくりと身を揺らした。つられて心臓が跳ね上がったのを何とか抑えて、二人の会話を黙って見守る。申し訳ありません、と続いた彼女の言葉を果たしてジャックは聞いていただろうか。
――声を荒げたジャックは、その先を言おうとして躊躇ったように見えた。続けようとした言葉を、自らが聞きたくないと言うように呑み込み、封じ、苦しそうに歪めた表情を隠すように手で覆い力無く項垂れる。ぎり、と微かに歯噛みする音が聞こえた。
「…ジャック…」
「…話しかけるな」
堪らず声を掛けるが、何時ものように一蹴する声もひどく弱い。そんな姿を見てしまってはそれ以上何も言えなくなって、一言謝罪を返して口を噤む。前の席の彼女も、憔悴するジャックの姿に複雑な面持ちで正面へ向き直った。
――あまりにも辛い。情報も得られず傍にいることも出来ずに、ただ無事を信じて祈ることしか出来ないなんて。
窓の外に広がる星の見えない夜空は、機内の空気をあらわすように重く暗い色をしていた。
side-Kiryu
漆黒の外套が、闇に翻る。
「戻ったか」
仄かな蝋燭の明かりの向こうから低い声がかかる。青で縁取られた闇色のフードの下、黒い眼球に浮かぶ金色の瞳が視線を向ければ、同じく黒い装束に身を包んだ男が二人。彼らは同志の帰還と吉報を待ちわびているかのように、同じく常人ならざる黒眼で鬼柳の姿を捉えていた。
外の世界よりも深く陰鬱な暗闇に、ぢぢ、と火の燃える音が微かに響く。それを掻き消すように靴音を響かせ、鬼柳は広いテーブルの周りに並べられた椅子の一つへ乱暴に座った。
「獲物はどうした?」
「仕留め損ねた。不測の事態が発生してな…」
「その割には、」
やれやれと溜息を吐く鬼柳に、同志である男の一人が問いではなく確信を含ませた声音で続ける。
「機嫌が良いではないか」
「……ああ、視ていたのか」
嗤う男の手の甲に視線を投げれば、そこには一匹の奇妙な子蜘蛛がいた。それで全てを理解した鬼柳はにいやりと口元に弧を描いて見せ、相変わらず悪趣味だと皮肉を返す。視ていたのなら、訊く必要も話す必要もないのだから。
「最高だったぞ。この上なく、なァ…」
そう言って、鬼柳は先程起きた一連の光景を思い返しくつくつと喉を鳴らし嗤った。
憎むべき旧友たちとの再会。驚愕に染まる奴らの顔。命を懸けた決闘。地縛神の降臨。手も足も出なかったシグナーの竜。仕留めるまではいかなかったものの、概ね計画通りに事は進んだと言っていい。脳裏に蘇る、絶望を必死で否定するあの表情に狂喜せずにはいられなかった。
恐怖を、苦しみを、己が手で与えられることへの愉悦、欣快、歓喜! こんなにも愉快なことがあっただろうか!
「(…次に対峙するときが楽しみだ…せいぜい生き恥を晒すんだな、不動遊星…!)」
ぽっかりと天井に空いた大穴から見える夜空に星はなく、無明の闇を仰ぎ見た鬼柳は可笑しくてたまらないと顔を覆う。
止まない笑声が、いつ果てるともなく静寂に谺していた。
side-Yusei
友の、クロウの声が聞こえる。それと聞き覚えのある女性の声と、ばたばたと何かを慌ただしく準備するような音。
背中の硬い感触に、何やら台の上に寝かされているのだと気付く。薄らと瞼を持ち上げると目が眩む程の光が視界に突き刺さるように降ってきた。暗闇に慣れていた目は痛みを覚え、朦朧とする意識を少しだけ覚醒させる。身体の違和感に気付いたのはそれと殆ど同時だった。
右の脇腹辺りが、灼けるように熱い。
「(……血、が、)」
どろどろと体内から溢れ流れていく感覚。熱さは自覚すると同時に体力も精神力も根刮ぎ奪っていくような痛みに変わり、抉られるような激痛に動こうとした身体が強張った。浅い呼吸に気付いてしまえば、深く吸おうとして息が詰まる。血が足りない。酸素が回らない。
――何が、起きたのだったか。
クロウと共に旧モーメントへ向かおうとして、ダークシグナーが現れて、ジャックが来て、そして――
「……ク、ロ…、」
「! 遊星! 気が付いたか!?」
先程聞こえていた声の主を思わず呼べば、様子に気付いた彼は直ぐに傍へ寄って来た。険しい表情を少し、ほんの僅かだけ安心したように緩め、直ぐに手術をするからもう少し我慢しろと言われる。――手術? 何故、と浮かんだ疑問を訊ねようとして、朦朧としていた意識に記憶が蘇ってきた。
離れた位置からクロウを呼ぶ声が聞こえ、応え離れていこうとする彼の服を掴む。
「クロウ、…きりゅ…が、」
「おい、喋るなバカ大人しくしてろ! 腹に穴空いてんだぞお前、わかって…!」
「鬼柳、が、」
言葉を紡ごうとするとクロウは血相を変えて声を荒げた。それは確かに自分への制止だった筈なのに脳は理解を示さず、記憶の一番最初に出て来た名前を告げる。あまり見えない視線の先で、灰紫の瞳が大きく見開かれた。
声を、残る力を振り絞って口を開く。言わなければ、伝えなければ。理由もわからないまま思考がそう叫ぶ。生きていた旧友、復讐の劫火、炎の地上絵、命を懸けた決闘、攻撃の効かない巨大なモンスター、それから…それから。
――どうして、
「…あいつが、ダークシグナー、なんだ、…シグナーの、敵、で、…サテライトを、滅…、」
「遊星ッ!」
劈くような怒声に遮られ、荒らぐ息の合間に零していた言葉を止める。焦点の合わない視線を向ければ、見下ろすクロウの表情はひどく辛そうだった。
もうやめろ、と、何かを堪えるように震えた声が耳に届く。
「…わかった…わかったから、喋んな、…頼む、」
「…クロ…」
「あいつはあんな奴じゃねえってこと、オレもジャックも知ってる。だから、」
懇願するように言うクロウに、準備が整ったらしく退室の声が掛かった。力無く掴んでいた服を離すと、外で待ってるからなとクロウは泣きそうな顔で微笑みながら言い、握った拳を此方の手にぶつけて部屋を出て行く。入れ違いによく見知った女性が入ってきて、久し振りだというのに挨拶一つする暇もなくされる簡単な説明をぼんやりと聞く。――殆ど、頭には入って来なかった。
脳裏に浮かぶのは、変わってしまった友の姿と、昔の記憶。
手術は、すぐに始まった。
京←遊←ジャとクロ という果てしなく報われない図式。
ジャックのはカーリー視点です。
tear …裂く、引き裂く