※クロ遊。79話以前
緩やかに浮上する意識。微睡みからのぼんやりとした覚醒。
離れ難い心地好さから引き上げられるようなそれに、遊星は疑問を感じて首を傾げた。いつの間に眠ってしまったのか――確か新エンジンのプログラムを組んでいた筈なのに。
そう思いながら重い瞼を開けた視界に入ったのは、作業途中のモニタとキーボードではなく。映るのは見慣れたキッチンの天井と、鮮やかな橙色。
「……、クロウ…?」
「お。起きたか」
視認した幼馴染みを呼べば、寝起きで掠れた声に対し彼は穏やかに微笑んで答えてくれた。読書中だったらしく、視界の端でパタンと本を閉じる音が続く。
「おはよーさん。よく寝てたなぁ」
「…どうして、」
「わりぃな、机で寝づらそうだったからよ」
苦笑しながら謝られ、寝惚けた頭でああ運んでくれたのかと理解した。上着を着ていない素肌をすべる感覚の正体は身体に掛けられた毛布だ。それすらも全く記憶に無いのだから、相当深く眠ってしまっていたらしい。
ここのところ開発が上手く行かず寝不足だった疲れが出たのだろうか――ゆるゆると考えを巡らせている間に、抜け切らない睡魔がまた襲ってくる。重い瞼をのろのろと瞬いていると、愛おしげに目を細めるクロウの手がやんわりと頭を撫でてくれた。その心地好さに、また眠りの淵へ引き込まれそうになる。
定まらない視線をぼうっとクロウに向けながら、ふと、ある違和感を感じて遊星は再度心中で首を傾げた。寝ている場所はソファのようだが、どうにもクロウの位置がおかしい。どう考えても、彼が座っている位置に自分の頭があるではないか。
何故――そう思うのと殆ど同時に、頭の下の感触に気付いて遊星は俄に頬を色づかせた。これは、この体勢、は。
「ク、…っ、」
「どした?」
「ぅ、…いや、…何、でも…」
純粋に不思議そうな顔で問われ、思わず目を逸らす。心臓の鼓動が少し煩い。気付かなければよかったと思った時には既に遅く、居たたまれなくなり眠気を振り払って起きようとする。が、それはクロウの手によって制された。
「クロ、」
「いいから、寝てろ。また徹夜だったんだろ」
「いや、そうだが、これは…実験も、」
「いいから」
語気を強めて繰り返される言葉に逆らい切れず、少し起こした身体は再びソファに沈む。戸惑いながら見上げた顔は、少し怒ったような、複雑な表情をしていた。
「クロウ、」
「…おやすみ、遊星」
あたたかい手のひらがそっと視界を塞ぐ。打って変わってやさしく囁く声に、拒むことも、睡魔に抗うことも出来なくて。
触れる体温に引き摺られるまま、遊星は目を閉じた。
*****
己の膝の上、再び眠りに落ちた親友――兼、恋人――を眼下に、気付かれないよう溜息を吐く。
もう間も無く正午になろうかという時間、仕事で使う経理の専門書を片手に、クロウは眠る遊星と共にキッチンのソファに居た。休日の今日は、何時もなら既に下のガレージでDホイールの開発を行っている時間帯である。しかしその為に起きて来てみれば、キッチンにあったのは作業台に突っ伏している遊星の姿で。先に起きていたジャックに言えば(彼が起床した時、まだ遊星は起きていたらしい)、相談するまでもなく今日の実験は先送りになった。たまには、何もせずゆっくり休む休日があってもいい。
しかし正直なところ何もしないというのは暇で仕方がない。ジャックは早々に何処かへ出掛けてしまって、デュエルの相手も居ないとなればすることは事務仕事を片付けるか勉強くらいで――後者なら、こうしていても可能だとクロウは判断した。結果は、先の遣り取りの通りである。
低めの作業台や平坦なソファでは寝づらいだろうと膝枕をさせた遊星は、ぽかぽかとあたたかい気温も相俟ってかぐっすりと眠っている。連日の夜を徹した作業の疲れが相当溜まっているのだろう、閉じられた目の下には薄いとは言えない隈が出来ていた。それを指先でそっとなぞり、ずれた毛布を引き上げてしっかりと身体に掛けてやる。
「……あんま、無理すんなって言ってるだろ」
すうすうと穏やかな寝息を零す唇を親指で撫で、起こさないように気を付けながら身を屈めて、何時もはしない口付けをこっそりと落とす。
――焦らなくていい、力が必要なら何でも言ってくれ。
愛しい友への切なる願いを込めて、今はただ彼の休息を、己の全てを賭して守ろうと思った。
もう膝枕厨とでも呼んでくれ