不動遊星の過激な片想い












 彼の名前を知らない。
 知っているのは容姿と、低く通る声くらいか。逆立てた青い髪と青いライディングスーツに混ざって素顔を隠す深紅のサングラス。はっきりとは見えなかったがこちらを見つめていた瞳。風を切り裂いて疾走するD・ホイールを自在に操り、自分の上を行く戦術を以てして導いた男。
 D・ホイーラーを狙うデュエルロイド“ゴースト”の出現。機皇帝という新たな脅威。ダークシグナーとの戦いを終え、開催されるWRGPでの優勝という新たな目標へ向かおうとしていたところに立ちはだかったそれらは、眼前に避けようのない問題を突きつけた。シグナーの竜――スターダスト・ドラゴンをはじめとする中心戦力のシンクロ、それを奪う機皇帝をどう攻略するか。一度は辛くも勝利したが、これから先も同じようにいくとは思えない。漸く取り戻した平和、差別から解放されあるべき姿を取り戻したサテライト。ネオ童実野シティを守るためには、シンクロキラーに対抗する手段を見つけなければならなかった。
 大会へ向けたエンジン開発の傍らで戦術の模索は続く。しかしどれだけの対抗策を練ろうと容易く通用するわけがないという不安は、否応なく付き纏い拭えなかった。プログラムの開発も遅々として進まず、募るのは苛立ちばかりで――そんな折り、自分の前に現れたのがあのD・ホイーラーだった。
 ゴーストを倒す戦術、アクセルシンクロという未知の領域を示した彼は、それ以上を語ることなく姿を消した。一体何者なのか、何故自分を助けるようなことをしたのか。――名前だけではない、彼の素性に関しては何も、何も知らなかった。
 あの姿が脳裏を過る度にどうしようもなく気になってしまう。一度だけ、たった一度己の前に姿を現した男。彼は一体何を知っているのか、グラス越しに見えた鋭い眼は何を見据えているのか。そう考える度に心がざわめいた。それは未だ見えぬ限界の先を求める心の焦りか、それとも。

「――は、」

 吐き出した吐息は熱を帯びて濡れていた。親友たちとの共同生活の中で一人きりになれる自室のベッドの上、高揚した身体を慰めるのは一度や二度ではなかった。
 たくしあげたタンクトップの裾を口で銜え、火照る肌を自らの掌でなぞる。鍛えた腹筋の溝や胸、鎖骨や首筋にも指を這わせ、その頃にはすっかり存在を主張する乳首も例外ではない。かたくなった先端を指先や爪で弄り、少し強く、自分を追い詰めるように嬲れば、徐々に加速していく鼓動が内側からどくどくと耳を衝いた。
 一心に己の手を動かしながら、記憶に焼き付いている声や仕草を頭の中で何度も繰り返し、夢想する。カードを捌く手、アクセルを握る手。彼のそれはどんな風に動くだろうか。どんな風に触れてくるのだろうか。想像と現実が交錯する。触れるこの手は彼のものなのだと、そう思うだけで身体は簡単に反応した。それほどまでに彼に焦がれている。もう一度会えないだろうか。あの眼に見つめられて、あの声に名前を呼ばれて、それから――。
 あまりにも過激な片想いだ。我が事ながらに思うが、今の自分にそれを自嘲するだけの余裕などない。

「ふ、ぅ、……あ、っ」

 我慢できずに自身へと手を伸ばす。ぐちゅりと濡れそぼった感触が掌に触れるのと背筋をぞくんと強い快感が走り抜けたのは、どちらが先かは判らなかった。ひっと喉が引き攣り、感極まったようにびくんと身体が跳ねる。先端からとぷりと白く濁ったものが溢れて咄嗟に根本を強く押さえた。高まった熱が爆発しそうになるのを、きゅっと唇を噛んで耐える。だめだ、まだ――まだいけない。許してもらえない。そう、きっと。
 自らの手で自らを戒め、渦巻く熱を落ち着かせるように荒い呼吸を繰り返す。心臓が張り裂けそうなほどに煩い。ひどく興奮していることを自覚して一層の快感に身を震わせる自分がいた。いつから自分はこんなにも淫らになったのか。そんな問いも快楽を求める心に溺れてしまう。
 俯せに身体を折り畳んで、自らの先走りで濡れる手を後孔へ伸ばす。もう何度も自分の手で触れたものの、付随する震え――恐怖か、それともこれからもたらされるであろう悦楽への期待から来るものなのかは、こうなってしまっては判断することも難しい――は幾度となく全身を襲った。いりぐちを指の先でなぞり、粘液を馴染ませるようにくにくにと捏ねる。貪欲な身体は弱くもどかしい刺激では到底満たされず、当然のようにもっと強いそれを求めていた。しかしそう簡単に欲求に従うことはしない。そう、簡単にはもらえないだろう。
 片手で射精を禁じ、もう片方の手で後ろを弄る。支えるもののない上体は枕とシーツに沈み、尻だけが高く上がる格好はひどく羞恥を煽った。絶頂を求めて震える自身は腹につくほど反り返り、戒められても尚止め処ない腺液を溢れさせている。こんなにも浅ましい姿を見られてしまうのか。妄想から生まれた視線に余すところなく見つめられている気がして、どくんと手の中の自身が脈打った。

「ぁ、っ……も、う、」

 我慢できない。小さく呟き、焦らしに焦らした後孔へ漸く、つぷりと静かに爪先を沈み込ませた。びくりと強張る身体。緊張に息が上がり、開いた口から声が漏れる。第一関節まで沈めた指にもう一本を添え、ひくひくと蠢くそこを押し広げながら二本の指を挿入する。

「ふ……あ、はあっ、っぁ、」

 少し入れては引き、また押し進めることを繰り返しながらぐぷぐぷと埋めていく。元来受け入れるための器官ではないそこは濡れることなどない。十分な滑りを持たない指の挿入は内壁を引き攣らせ痛みをもたらしたが、酩酊した意識の上ではそれすらも快感に塗り替えられてしまった。固く閉じた穴が二本の指によって無理矢理に広げられるのを感じて口から出るのは情けない声。ぞわぞわ肌を粟立たせながら抜き差しを繰り返し、ぐちゅりと深く突き入れた指先がしこりを掠めびくんと全身が痙攣した。

「あ、ぁ……っそこ、は、ぁ、」

 いやいやと首を振るが手は止まらない。欲情に塗れた思考を見抜くかのようにその部分をぐっと圧迫され悲鳴を上げる。自身を押さえていた手は疾うに役目を放棄してシーツに縋りついていた。助けを求めるように啼いても、中にある指は容赦なく責め立ててくる。
 耳元に低い声。ふ、と吐息で微笑い、後孔を指で犯しながら意地の悪い囁き。快感に溺れて前後不覚な自分に、君はどうしたい、と。注がれる、誘惑の言葉。

「――ッあ、あ、っひ、〜〜〜ッッ……!!」

 快感が脳髄を突き抜ける。手で触れるよりも遥かに強いそれに、気付くことなく絶頂を迎えていた。自身からびゅるびゅると濃い精を吐き出し、身体の痙攣に合わせて後ろに入っている指をきつく締め付ける。それすらも達したばかりの身体には痺れるような快感をもたらした。呼吸が止まるほどのオーガズムを、脳は遅れて自覚する――きもち、いい。もっと、もっとしてほしい。

「っふ、あ……ぁ、も、っとぉ、」

 蕩けた頭ではそんなことしか考えられなかった。抱いてほしい。犯してほしい。あの眼に見つめられながら犯されたい。あの声に呼ばれながら、めちゃくちゃに、されたい。被虐願望にも近いそれは、妄想による自慰を加速させる。ぐちゃぐちゃと体内をかきまわし、再び屹立した自身を乱暴に扱く。それが彼の手によるものだと夢想して。自分の名を呼ぶ彼の声を、過激な片恋が呼び起こす快楽に溺れた頭で繰り返して。
 ――けれど自分は何も知らない。何も、知らないのだ。

「ぁ、あっ……いく、っい、ッ、――っ……!」

 二度目の絶頂に身を震わせ、声を詰まらせる。そうして漸く気付くのだ――すべては自分の抱いた幻想だと。
 知らない。彼のことを。――果てるその刹那に、焦がれて呼ぶ名前すら。