お菓子をくれなきゃイタズラします
思わせ振りに触れてくる掌はきっちりとしたデザインの白手袋に包まれていた。企画したイベントは終わり、遊びに来ていた子供たちも疾うに帰ってしまったガレージには自分とブルーノしかいない。椅子に座るこちらへ覆い被さるブルーノは漆黒のテールコートと仰々しいマントを身につけており、ハロウィンで扮した吸血鬼の格好のままだった。仮装なんてこちらはとっくに着替えてしまっているというのに、与えられた役割は彼の中では継続しているらしい。遊星の血が欲しいな、なんて冗談を真顔で言ってくるのだからきっと本気なのだろう。言動とは違い真摯な瞳に見つめられては拒否するのを忘れてしまっても仕方がなかった。何せ見上げたブルーノの姿は普段と異なる真っ黒い衣装に包まれ、外へと跳ねる髪を後ろで束ねている所為でかなり印象が違う。要は見惚れてしまうほど似合っているのだった。そうこうしている間に、吸血鬼に成りすます彼の手はこちらの腰を撫で、背を上へとなぞって首筋に辿り着く。
「血、って……吸うのか?」
「違うよ、フリだけ」
狙い定めるような視線の先でブルーノの指先がくるくると踊る。首筋の皮膚の上で円を描くようなそれがくすぐったくて首を竦めると、上からくすりと微笑が降ってきた。
「だめかな?」
「いや……フリ、なんだろう?」
なら別に、と返せばブルーノは一瞬目を見開き、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべた。しかしそれはいつもの無邪気な表情とは違う。まるで吸血鬼が獲物を目前にして舌舐めずりをするような、妖しさを含ませた笑顔だった。すっと細まる濃灰の双眸。次いでブルーノが動く。首筋を指していた手が肩へとかかり、もう一方の手はするりと頬を撫で、反対側へ倒すように頭を固定した。必然的に晒される首筋。少し傾けられた視界に映るブルーノは口元にゆったりと笑みを湛えている。上体を下げ、端正な顔がゆっくりと無防備なそこへと近付いていく。はあ、と膚に熱い息がかかった。ブルーノが、近い。
「それじゃあ、いただきます」
「っ、ぅ、」
かぷり、やわく歯を立てられる。身構えてはいたものの本当に噛み付かれるとは思っていなくて、刺激に身体が跳ねるのを抑えられなかった。首筋に顔を埋められてはこちらから様子を確認することは出来ず、ただ次の動きを待つしかなく自然と全身が強張る。それは密着するブルーノにも伝わっているだろう。はふ、と吐息の音がひとつ。続いて感じたのは舌の熱さ。じゅる、と唾液を啜るような音に、言い知れぬ感覚が背筋をぞわりと駆け抜けた。同時にそれまでなかった不安がどっと込み上げる。彼は、本当に――。
「ッ、ぶ、ブルーノ、」
どもりながら名前を呼ぶがしかしブルーノは応えない。代わりに後頭部を強く押さえられ、不安が一層現実味を帯び身体が凍りついた。彼と居てこんなにも身の危険を感じたのは初めてで――思わず抵抗しようとして、それは首筋を襲った刺激に阻止される。
「ッひ――あ、ぁっ」
ぞくん、と腰に響くような衝撃に声が上がるのを抑えられなかった。キスマークをつけるのとは違う、皮膚が引き攣れるような鈍い痛み。喰いつかれる未知の感覚に思考はすっかり混乱して、ただ必死にブルーノの身体に縋ることしか出来ない。おかしい。こんなのただ皮膚に吸い付かれているだけだ。それなのに――血なんて吸われていない筈なのに、身体中から力が抜けていく。キスを繰り返し、甘噛みと共に強く吸い上げられ、その度に甘い痺れが全身を駆け巡った。おかしい、こんな、こんなの――それとも、おかしいのは自分なのか。
「遊星知ってる?」
「な、に……っあ、ぁ」
耳元で囁かれたかと思えば耳介を甘噛みされる。いつの間にかタンクトップの下へと潜り込んでいた手で直に腰を撫でられ、ぞわぞわと肌が粟立った。
「吸血鬼に血を吸われるとね、すごく気持ちいいんだって」
本当かな?とくすくす悪戯っぽく笑うブルーノはとても楽しそうだ。こちらは既に息も絶え絶えだというのに、彼はその状況に気づいていながら楽しんでいた。逃げを打つ腰を抱かれ、引き寄せられて膝が崩れる。まずい。そう察知するが脚に力が入らず、椅子から浮いた身体はブルーノと共にずるずると床へ沈み込んでしまった。ぞく、ぞくりと止まらない震えに、支えを求めて目の前の身体にしがみつく。
「ぁ、あ……ぶる、ッひ、あ」
「きもちいい?」
問いかけにこくこくと頷くことしか出来ない。へたり込んでしまった脚の間に、同じく床についたブルーノの膝が割り込むのも止められなかった。わけもわからず震えるだけのこちらを見つめてブルーノがくすりと微笑い、動く。あ、と思った刹那に再び首筋に噛み付かれ、同時に脚の間――自覚なく兆してしまっていたそこを膝頭で責められ、されるがままの身体は彼の腕の中で盛大に仰け反った。不意の衝撃に声も上げられない。全身ががくがくと震え、齎された強烈な快感に目の前が真っ白になった気さえした。達することこそなかったものの強張った身体は暫くの後に漸く弛緩して、そのまま自分を抱き留めてくれているブルーノに預けるかたちになってしまった。くたりと脱力し荒い息を繰り返していれば、くすくすと笑う声が頭上から降ってくる。何事かと顔を上げれば、そこにあったのは未だ含みのある笑みを浮かべるブルーノの姿。
「……何だ、」
「遊星、今日が何の日だか忘れてないかい?」
「……?」
可笑しなことを言う。今日はハロウィンで、ほんの数時間前まで仲間や友人たちとささやかなイベントを企画して、仮装もした。その証拠がブルーノの今現在の格好だ。そんな格好をしてこんなことをやり出した本人が何を言うんだ、と言い返そうとして気付く――自分は彼にお菓子をあげていない。急激に蘇ってきた良くない予感にブルーノを見遣れば、吸血鬼姿の彼はにこにこと笑っていて。
「トリックオアトリートだよ、遊星。――まだお菓子はもらってないから、イタズラしても……いいよね?」