※遊星が猫







 ――猫に会った。
 月の美しい夜だった。秘書の制止を振り切って飛び出した街のはずれ、サテライトの見える高架の近く。その猫は月明かりで出来た建物の影に隠れるようにして、その小さな身体を震わせて。
 夜のような色の毛並みは耳の近くの一部分だけが金色で、目を合わせれば綺麗な青い色をした二つの瞳が警戒心を露にして此方を見た。

「…お前…、」

 気紛れに足を止めた筈が、思わず声を掛けてしまった。びくりと身を竦ませた猫は短い爪を地面に立てて、強気な視線で睨み付けてくる。
 怯えてはいるのだろう。だが必死に此方を威嚇して逃げようとしない姿に、ふ、と笑みを零す。

「…ほう、小さいくせに威勢だけはいいようだな。キングを前にして逃げなかったことは褒めてやろう」

 かつん、と靴音を響かせて歩み寄れば、猫はその音に耳を一々反応させじりじりと後図去る。当たり前のことながら長い足を持つ此方はあっという間に猫の傍まで辿り着いてしまい、足元の猫は此方を見上げて青い瞳を鋭くした。
 ――よくよく見れば、その猫は未だほんの仔猫のようだった。親兄弟と逸れたのか、ところどころ汚れの目立つ仔猫はたったひとり、それでも虚勢を張って、小さな身体で必死に威嚇して。

「…独り、か」

 …恐らくほんの気紛れだ。こんな行動に出ようと思うなど。
 小さく身体を震わせる仔猫を見下ろし、その場にしゃがみ込む。視線を合わせて手を伸ばせば仔猫はまたびくりと怯えた様子を見せ、射抜くようだった瞳を僅かに揺らがせた。
 自分よりもずっと大きな目の前の存在が怖いのだろう、後図去る仔猫に触れようとより手を近付けるが、一瞬仔猫の視線が鋭くなったと思った次の瞬間、指先に思い切り噛み付かれた。
 びり、と僅かに痛みが走り顔を顰める。直ぐに振り払おうという考えが頭を過るが、小さな歯を必死に立てる仔猫の身体から微かに震えが伝わってくることに気付いてしまった。
 ――怯えている。

「…怖いか」
「ッ、」

 呟けば、ぎり、と指先に立てられた歯がより喰い込んだ。

「…怖がるな。何もしない」
「…っ…、」

 噛まれた指はそのままに、怯える仔猫の喉をもう一方の手で撫でてやる。触れられることを拒むかと思ったが、噛み付く力が少し強まっただけだった。
 宥めるように、安心させるようにと撫でれば、徐々にその警戒を解いて行って。すっかり大人しくなった仔猫の口から噛み付かれていた指を外せるようになった頃には、あんなに怯えて鋭かった青い双眸は静かな水面のような色に変わっていた。
 その様子にひとつ息を吐いて、もう一度てのひらを差し出す。

「…来い。誰もお前を傷つけたりはせん。…そうだな、飯くらいなら出してやる」

 此方の言葉にぴくりと耳を動かした仔猫は何度か瞬いて、差し出した手におそるおそるといった様子で近付いて。躊躇いを見せながらもその手に擦り寄った様子に、もう大丈夫と見てその身体を抱き上げた。
 仔猫を抱きかかえ、足にと乗って来たD・ホイールを停めた位置まで歩く。その間、大人しく腕の中に収まる仔猫のために、秘書に連絡して飯を用意させておくかと、そんなことを考えていた。