全身に浴びた海水を冷たい水で洗い流し、シャワーから上がってきたアジトには誰も居なかった。何度も謝るラリーを宥め、仲間に事のあらましを先に説明しておいたから、気を利かせて一人にしてくれたのだろうか。
雫が髪からぽたぽたと絶え間なく滴り落ちるのも構わず、ノートパソコンの乗ったラックを引き寄せる。この手の機械に水分は御法度だが、そこまで頭が回らない。カーソルを動かすのももどかしい。
キー操作で電子メールの送受信アプリケーション――離れていても連絡出来るようにと作った自作だ――を立ち上げる。登録してある数少ないアドレスの中から一番見知ったものを呼び出し、メールを作成する。タイトルを打とうとして、やめた。思い付かない。
本文に一言だけ入力して、そのまま送信する。宛先の相手なら恐らくそれでわかってくれるだろう。いやに冷静にそう思うのに対して、頭はそれ以上の思考を拒んでいた。
床に落ちる雫をそのままに、ただ、呆然とする。
*****
「――んー…調子悪ぃなあ」
ノイズばかりのモニターを見ながら、端子に繋がる配線を引っこ抜いては差し直す。錆び付かないように丁寧に使って来たつもりだったが、端子部は目で見るよりも傷んでいるのかも知れなかった。それともマシン自体がイカレてしまったか――いくら接続し直しても、映像は一向に映らない。
「クロウ兄ちゃんー、テレビ映ったぁ?」
「ダメだ、ぜんっぜん」
「えぇー!」
返した答えに、作業の様子を覗きに来た子どもたちが落胆の声を上げる。シティの電波を何とかキャッチ出来るテレビは貴重な情報源であるとともに、閉鎖されたサテライトで暮らす子どもたちには大きな娯楽だ。それが映らないとあっては結構な損失である。
もう少し見てみるからと子どもたちを外へ促し、受信装置の外装を外す。元々はもっと機械に強い友人が弄ったもの故か、ぱっと見ただけではどうなっているのかさっぱりだ。中の導線を慎重に除けながら様子を確かめてみるも、解体しなければ原因はわからなさそうだ。しかし解体したら解体したで手に負えそうにない。
「(暫く調整してねえもんな…、仕方ねえ、遊星に見て貰うか)」
ザーザーと音を立てていたモニターをテレビからパソコンに切り替え、メールソフトを起動させる。テレビと違いネットワークへの接続は問題無いようだ。
友人と連絡が取れることにほっとして、新規メールを作成する。そういえば最近互いに何の連絡もしていなかったと思い出したところで、受信メールが一通、届いていることに気が付いた。
「――遊星…?」
受信ボックスの一番上、no subjectと表示された無題のメール。その横には、今まさにメールを送ろうとしていたアドレスが表示されていた。
前のメールの日付は二週間前。否、経過した時間は関係無い、そもそも遊星の方から連絡が来るというのは珍しいことだった。彼との遣り取りは、大抵が此方から送らなければ始まらない。
怪訝に思い、落ち着いて読もうとモニターの前の椅子に腰掛ける。ギシリと錆びた音が立つのを聞き流し、遊星からのメールを選択し開いた。
その内容は、たった一文。
”ジャックがシティに行った”
「…は…!?」
思わず、パソコンの乗った机に両手を思い切り叩き付ける。座ったばかりなのを忘れて立ち上がった拍子に椅子がひっくり返り、外で遊んでいた子供たちが物音に気付いて何事かと覗き込んできた。
「クロウ兄ちゃん?」
「あ、…あー、びっくりさせたか」
「ううん。どうかしたの?」
尋常ではない雰囲気を察したのか、不安そうに問うてくる子どもたちに何でもないと返し、もう一度メールに視線を戻す。タイトルは無い。アドレスは確かに遊星のもの。受信した時間はつい数分前。句読点が一つもない一文で構成された本文は本当にそれだけしかなく、見慣れたヘッダーとフッターを除けばその一文以外には改行すらない。本当に、ただそれだけを入力して、送ったかのような。
ただならぬ事態を勘が告げる。倒した椅子を無視して、部屋の棚から久しく使っていなかったカメラとヘッドセットを取り出しパソコンに接続する。シティのものと比べれば何代も昔の代物だが今問題無く使えればいいのだ。
メールが送られた時間はほんの数分前。メールの様子からしても既にパソコンの傍を離れてしまったということはないだろう。所謂IP電話と呼ばれるシステムを立ち上げ、呼び出す。――案の定、数分もしないうちに繋がった。
「遊星!! 何があっ…ておま、びしょびしょじゃねーか!!」
『クロウ、』
「ったく何してんだよあーもうその首に掛けてるタオルが飾りじゃねえなら頭拭け風邪引く! つーかそんなんで弄ってたらパソコン駄目になるだろ!」
『クロウ、ジャックが、』
「あああくっそもうあのバカ何で出て行きやがったんだよォォオ!!!」
離れて暮らすようになっても時々連絡だけは取り合ってるといいなーという妄想にジャック出奔時のクロウはどうしてたんだという妄想を加えたらこうなった